第8話 有害物が増える「実証」
東洋医学の病気の解釈には虚証と実証があること、虚証は生命力が低下している状態であることを前回書いた。今回は実証について。
「実」は本来「實」と書く。家(宀)の中に米(田)や財宝(貝)がたくさんあるという意味だ(學燈社「漢字語源辞典」)。東洋医学では、財宝ではなく有害物(邪と呼ぶ)が体内に増え、体の働きがうまくいかなくなる状態を実証と呼ぶ。生命力が邪に負けてしまった状態だ。
邪とは、不正常、不自然な状態をいう。不自然(邪)ではない心(気)、つまり素直な様子は「無邪気」と評される。ちなみに中国では、牙は奥歯を指す。「歯」は前歯のことで、歯科は「牙科」である。
さて、この邪、例えば冷夏や猛暑のような異常気象、胃腸の中の不消化物、さらに体内をめぐる気や血、水分の停滞などが代表的だ。体に取り付いた寒さに対応できないと風邪を引く。不消化物のために胃腸がうまく働かなければ下痢になる。この場合、寒さや食べ過ぎたものが邪。体を温める葛根湯や、不消化物を除く平胃散を飲むことが、その治療となる。
ただし、これらが邪として働くかどうかはその人次第。同じ気温下でも、風邪を引けばその人にとっては邪となるが、快適と感じる人には邪とはならない。あくまでも個人を基準にして考えていくところが東洋医学の一つの特徴である。
病気の発生をまとめると、生命力が低下した状態(虚証)、邪によって体の動きが阻害された状態(実証)の二つとなる。人物を性格と能力の二つの物差しで評価するように、生命力と有害物(邪)という二つの見方で病気をとらえるのだ。
しかし虚証と実証は必ずしも対立する概念ではなく、体が弱い人の風邪のように、虚証と実証が同時に存在することも起きる。実際臨床ではこちらの方が一般的だ。
現在の日本では、「実証」を「元気な人」の意味で使うことが多く、まぎらわしい。「実」を本来の意味通り「生命力が充実している」と捉えているのだ。つまり、生命力が活発なのにもかかわらず病気になった状態。本当に元気な人は病院には来ないからである。
三浦於菟 ~2013年10月31日毎日新聞より転載~
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