第3話 漢方医学と東洋医学はどう違うの
東洋医学は5~6世紀ごろ、中国から渡来した。それ以前の医学がどんなものだったか定かではないが、民間薬や温泉療法などはそのなごりであろう。例えばハトムギはイボ取りの漢方薬(薏苡仁)だが、中国にはない日本独自の使い方だ。 「漢方医学」とも呼ばれるが、江戸時代中頃に広まった蘭方医学と区別するために生まれた名称である。漢は漢民族、蘭はオランダ。ただし蘭方医といっても基本は漢方医学で、主な蘭方医学は外科や種痘であった。世界初の麻酔手術をした華岡青洲が、麻酔薬に漢方薬を使ったことからもそのことがうかがえる。 しかし1883(明治16)年、医師の資格が 西洋医学を学んだ者のみに与えられることとなり、漢方医学は禁じられることはなかったが衰退に向かう。西洋文明に傾斜していった時代ではやむを得ない流れだった。このころから、西洋医学に対する概念として「東洋医学」という名称が登場した。ただしこれも日本独特の呼び方だ。 中国に留学した時、「東洋医学を学びに来た」と言ったら妙な顔をされた。「東洋」は中国語では日本を指す。「なぜ中国までわざわざ日本の医学を学びにきたのか」と受け取られたのだ。 中国語で「東洋参 」といえば日本産の漢方薬の人参を意味する。多くの人に「朝鮮人参」と呼ばれているが、日本でも長野や福島で栽培されている。特に有名なのは島根県の大根島 産。貴重な人参を守るために「大根栽培」と偽った事が島名の由来との事である。東洋参の品質は非常に高く、中国人や華僑の間では有名ブランドとなっている。 さて、一度は衰退した東洋医学だが、明治末には、西洋医学の偏重に対する懐疑が医師の一部に芽生え、東洋医学が再評価されるようになった。日本ではぐくまれた伝統医学として、西洋医学にはない独自性と有用性が見直されたのだ。 居酒屋で「お酒ください」と注文したら、店員に「日本酒? 焼酎? 」と聞き返されたことがある。酒と言えば日本酒と思っていたが、酒の世界も多様化したものだ。このように異なるものを受け入れ、発展させていくのは日本のお家芸かもしれない。
〜平成25年6月6日毎日新聞掲載-「オットー博士のなるほど東洋医学」を修正加筆したものである〜